特集はもう見飽きた感じの穴埋め企画「渋谷の少女」物。
渋谷に憧れて出てきた家出少女の「危ない」どうでもいい行動を追ういつものパターンで、少しは違いを見せたいのか名門女子大生が身分を隠して渋谷の夜を徘徊するという企画。
「どうせヤラセだろう」と思いつつ横目でちらちら。
ふと、自分たちも似たようなことをしていたのを思い出す。
大学時代の何年生か、「フーテン」という言葉が流行となっていた頃。
出入りしていた新宿の「風月堂」か「ウイーン」か、知り合いになったフーテン君から誘われたバイトがテレビ取材のフーテン役。
当時フーテンの聖地のようになっていた新宿東口「グリーンハウス」(芝生の植えられた広場で終電車乗り遅れた時の寝場所)
そこで寝てるふりして夜中に起こされインタビューを受けるというもの。
労力の割には結構いいお金をもらった記憶あり、結局はお酒とトイレに消えた。
その縁でかどうか、今度は「木島則夫モーニングショー」とかの番組で、新宿コマ劇場前でハプニングを起こすというテレビの企画のために一人×千円で人集めの話が来た。
当日(金曜日夜)声かけられるだけかけて人を集め、早めの酒で気合を入れて現場のコマ劇場前へ行けば、テレビのロケが始まる前に大群衆集まり、木島則夫本人も危険を感じて逃げ出す騒ぎとなり、何が何だか判らぬままとにかくギャラだけはしっかり頂いて酔っぱらった記憶がある。
そんな流行(はやり)物企画を求めるテレビと、暇で金の無い学生の橋渡し的な役目をやっていた事務所があり、その
中心にいたのが宮井陸朗という人物。
TBSのドキュメンタリー番組「ツイギー」や何かの構成をしていたと思うが、厚生年金ホール傍の事務所へ行くとなんだか怪しい(当時は面白い)話が色々あった。
昼間からハイちゃんか何かでラリッて「君ね、われ思う故にわれは無しなんだよ、判らない?」
精神的にポールニザン、理論的にはサルトル育ちの古臭さを笑い飛ばされ、これからは現象学だとフッサールかメルロ・ポンティだか煙に巻かれた覚えがある。
その事務所で何度か見かけたN大生が後に自衛隊襲撃事件を起こしたのは何年か前に映画になった。
今思い出せば妙な時代だったと思うが、それにしてもテレビはちっとも変わらないと思いつつ今夜も朧。
酒 : 缶ビール、緑茶ハイ
# by kcat46 | 2012-05-19 20:46 | 思い出たどれば | Trackback | Comments(0)











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